LIFE IS A TRIP! ~Tour de JaPON 「自転車日本一周の旅」~

2018年夏、自転車日本一周の旅へ。自転車歴2ヶ月33才♂が奮闘。2017年秋、スペイン・サンティアゴ巡礼900km完歩。動画は→https://youtu.be/luRrk8gVzeg 好きな国は、ネパール、ミャンマー、スペイン、カナダ。山登り、音楽やサブカル、そして穏やかでイキイキしてる人が大好き。

極夜行 ー太陽が昇らぬ暗黒の北極を旅してー

こんにちは、ポンです。

 

今回は、近頃読んだオススメの本について。


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角幡唯介「極夜行」

 

そもそも、「極夜」とは何か?太陽が昇らぬ現象の事だ。極地、つまり北極や南極またはそれに近い高緯度地域では、一定期間太陽が地平線から上に昇らない時期がある。一日中真っ暗なのだ。昼も夜もない。この現象のことを極夜と呼ぶ。(反対に、一日中太陽が登っていて夜がない現象を「白夜」という。)

そんな唯でさえ過酷な条件の中、真冬の極寒の北極圏を1人と1匹(犬ぞりの犬)で往く。4ヶ月もの間。精神的にも肉体的にも極限状態での冒険。

これが、本書内で描かれている冒険の概要。

 

そして、この極夜の北極探検をする動機がこれ↓

 

つい数十年前の我々の祖父母の世代の、日々の生活が自然と直に結びついていた時代の猟師や農民にとっても、太陽は人間の実存にかかわる本質的な力をもって降り注いでいただろう。太陽の運行を知ることが世界を知ることであった時代が、つい最近まであったのだ。

ところが今では、太陽は人間にとってそういった本質的な存在ではなくなった。

人工的な照明、LEDやウラン、プルトニウムを利用した人工的な疑似太陽ともいえる核分裂装置等々で発生させたエネルギーに依存した現代人にとって、こうした本物の太陽は決して見ることのできない存在になってしまった。

私たちは普段太陽を見ているようで

見ていない。私たちが毎朝、会社に通勤する時に見ている太陽、あれは太陽の姿をしたニセモノだ。

(中略)

極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本当の太陽を見られるのではないか。

 

(本書P.24-25)

 

そんな彼の前にはいくつもの試練が待ち構えている。テントを吹きとばすほどのブリザード、姿は見えずとも存在を感じる白熊に怯え、距離感を狂わす幻惑の月光、そして犬にカロリーメイト半欠片をあげるのをためらうほどの食糧難。それらを乗り越え、永遠とも思えた漆黒の世界を照らす数ヶ月振りの太陽とは。

 

角幡さんの本の魅力は、その文章力だ。時にユーモアに富みながらも、目の前に現れる出来事や事象を事細かに捉えて感じ、それを文章に宿せる表現力。

つまりは、文が面白いのだ。圧倒的に。

日本一周中にふらりと立ち寄ったある街の図書館で見つけたこの本。前から読みたいと思っていたのに、読めずにいた。せっかくなので、と休憩がてら読み始めたらあまりの面白さに止まらない。予定を変更してその街に二泊したのも、この本を読破する為だった。

 

そんな彼の面白い文章を少し紹介。

 

私はズボンを下げてお尻をペロンと出し、早速しゃがんで行為に取りかかろうとした。ふと背後を見やると、犬がネオテニー化した可愛い顔をこちらに向け、妙に熱っぽい視線を私の臀部に投げ掛けていた。

ははーんと私はピンときた。ウンコを食いたいんだな。

(中略)

犬の食糧として1日平均800グラムのドッグフードを用意していたがそれだけでは足りなかったようで、

(中略)

私がこの日、外で用を足したのは犬の目の前で排泄してやったら、いったいどんな様子で反応するか見てやりたかったからだ。犬の期待で潤んだ視線をビリビリ感じながら、私は彼の期待に応えてやろうと盛大に肛門から排泄物を放出した。

ところがその時予想もしなかったことが起こった。犬が突然、私の背後に近づいてきたかと思うと、まだ完全にブツを出しきっていない私の肛門に鼻を近づけ、もうたまらないといった様子で穴から出てくる糞をバクバクと食い始めたのだ。それどころか、私が糞を出しきると、まだ全然足りないといった様子で、あろうことか私の菊門を慈愛に満ちたテクニカルな舌技でペロペロと舐め出したのである。

あふっ。

思わず口からはしたない声が漏れた。

 

(P.92-93) 

 

最初に読んだ時、思わず声を出して笑った。というか、読み返しても笑える。

 

もう1つ紹介。

峠から少し下ると、足元に荘厳な風景が広がっていた。

雪で塗りつぶされた広大な湿地帯の谷間が、闇夜の中、天空から照射される月の薄光により遠くまで白く発光して浮かび上がっていた。雪原はどこまでも奥に続き、闇の向こうで朧気に消えている。それは壮絶なまでに美しい。美しすぎる、美しすぎる八戸市議みたいな光景だった。あまりに幻想的かつ眩惑的な風景に私はしばし見とれた。あきらかに地球上の風景のレベルを超えており、地球以外の惑星の風景と言われても、ええそうですか、ととくに疑問もなく受け入れられる展望が広がっていた。

 

(P.214)

 

違う惑星の様な風景、とはどんなものなのだろう?それほどまでに美しく強烈な風景、なのだろうか。俺も一度見てみたい。美しすぎる八戸市議、はようわからんけど。

 

 

 

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さて、本書は「太陽」が大きなテーマだ。太陽の偉大さ。俺も、それを自分の身をもって感じられた出来事があった。

 

2016年春、俺はネパールにいた。エベレスト街道トレッキング。生まれて初めてのエベレストをこの目で見る為に、2週間ほど歩いた。エベレストを目にする前日、標高5,000m超にある山小屋に宿泊した。翌日エベレストとその脇から昇る御来光を見にカラパタール峰(標高5,500m)を目指す。翌朝、午前4時前に起床して4時半には山小屋を発った。太陽が昇る前なので、まだほとんど真っ暗だ。寒い。おまけに、高山病になりかけていたので、頭はクラクラする。呼吸が浅い。それでも、ゆっくりと歩を進めて1時間後の5時半にはカラパタールの山頂に着いた。出発した頃には真っ暗だった空が、眼前にそびえるエベレストの輪郭がわかるほどには少し明るくなっている。もう既に、沢山のハイカーたちがそこにいて、みな日の出を待っている。人がしていたのと同じように、自分も記念写真を撮る。

そこからが長かった。頂きは、暴風レベルの風が吹き荒れていた。登っている間にはあまり感じなかった寒さが、体を動かすのを止めた途端に襲ってくる。俺は持っている服を全部着込んでいた。上半身は5枚。下半身は2枚。それでも寒い。特に、体の末端である手足が恐ろしいほど寒い。手袋も靴下も二重にしていたが、まるで裸同然のように意味なかった。ふと、時計を見る。

「え、嘘だろ!?まだ、5分?」

山頂に到着してからまだ5分しか経っていない。時が過ぎるのが遅すぎる。それでも容赦なく吹きすさぶ風。

「足が凍傷になる!」

と錯覚するほどに、足が冷たい。じっとしていられなくて、体を震わし足先を動かすが、一向に暖まらない。手元の温度計を見る。-17℃。だが、恐ろしい強風が吹いているので体感温度は-25℃を下回っていたように思う。

「地球よ!もっと早く自転しろっ!」

山登り漫画「岳 ーガクー」に、こんな台詞が出てくるシーンがあるが、この時まったく同じ心境だった。

「太陽よ、早く登ってくれ!」

こんな事を思うのは、それまでの日常生活では皆無だった。やがて、東の空が白み始めて濃紺や紫など幾重にも色の層を纏いだした。

そして--------遂に太陽がその姿を表し始めた。エベレストの脇から目映い光を携えながら。それを目にした瞬間、心の底からホッとした。寒さで強ばりあがった体がほぐれていく。気温的にはまだまだ寒いはずだが、その変化は劇的だった。太陽は、物理的に暖めるだけでなく、精神的・視覚的にも、人に安らぎを与える。それほどに、あの時目撃した太陽は圧倒的な存在感だった。あの時あの瞬間、俺は認識した。

「太陽は偉大だ。」


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極夜の北極を冒険し、1日中暗黒だからこそ太陽の有り難みを終始痛感し、数ヶ月振りに目の当たりにする太陽はどんなもので、何を感じるのか?角幡さんが体験したものを辿っていける冒険記「極夜行」。オススメだ。